8年目の会社生活 苦あり楽あり

大企業(3,000人ほど)の機械部品メーカーに勤めて8年目。

色々思ったことがあるので、悩みましたが綴ります。

「自分の力で一生食っていける能力を身につける」という活動の原点にもなる話です。

何百回でしょうか。会社をもう辞めよう! いや今のままできる事を…

と繰り返してきた僕ですが、今書かないとこの想いは綴れないので、ここに書き残しておきます。

入社〜2年目まで

入社後、システム部門に配属が決定。

ワードも大学のレポート作成で嫌々覚え、エクセル、パワーポイントなどもほとんど触ってもいなかった自分が、まさかシステム部門になるとは…幸い、勤務地は東京。実家から30分内で通える好立地。不安と緊張の最中、研修が開始された。

製品勉強、営業、製造の研修を終え、いよいよOJT開始。しかし、1ヶ月余りで突然営業部門へ異動。理由は、新しく赴任した役員の鶴の一声だった。自分が研修後の発表会で取引先の表現を仕入れ先?とした事がきっかけで、営業部門でイチから勉強してこいとの意味合いだったとか。

それを知った当初、そんな些細な事で配属組織が変わってしまうのか… と驚いた記憶がある。営業部門とシステム部門では、環境が天と地ほど差があった。

システム部門では基本定時退社。残っていると早く帰れと催促される。自分目線では、どこにでもいる理不尽な人、合わない人はいない。みんなと気さくに良好なコミュニケーションがとれた。というか、この先この職場を超えるほど恵まれた人間関係をとれる組織はない!と言い切れるほど、職場の人たちが大好きだった。

営業部門も、人間関係はそれなりによかった。うちの会社って人はいい人たちばかりだな〜と、満足した。しかし、大問題があった。

営業部門では社内接待が過剰に要求される。飲み会に行かないという空気が許されない。社内で技術部の人や他の営業所からくる人がいた場合、ほぼ100%飲み会。クリスマスだろうが飲む。場合によっては終電まで帰れない。多いと週の半分以上。見積もり作るより、飲み会優先。お金は割り勘。給料の1割は飲み代にもっていかれた。

仕事自体はノルマもなく、自社のブランド力も強い為、新人が飛び込んでも話を聞いてもらえるような待遇。人間関係や営業特有の体育会気質を抜きに、純粋に仕事だけで考えたら一番面白かった。

しかし、飲み会による時間の喪失と不自由さ、片道1時間半という遠距離通勤に疲れ、元いた部署に戻りたいと告げる。些細なミスが続き、本気で発達障害を疑った。

飲み会に使う時間があったら製品勉強したり、見積もりを作りたかった。仕事帰りのジム通いなどで体を動かしたかった。何よりも、システム部門の人間関係と自由な風土が好きで、何としても戻りたかった。

願いは叶い、システム部に異動できる事に。戻ってからというもの、少しづつ業務に携わっていくが、肝心の業務内容が中々頭に入らなかった。PCに関する知識、経験が絶対的に足りない…

土日も勉強はした。意識だけは高かった。が、遊びたい、スポーツで結果を出したいという気持ちも入り混じり、意識の割に打ち込めてはいなかったが…

営業をリタイヤした身、ここで成果を出さなくては… と焦り、それが悪い緊張を生み、なんでもない事が上手くできない… という事の繰り返しが続いた。

そして、リーマンショックの不景気もあり、たった半年強で製造部門への異動を告げられる。事実上の左遷だった。(純粋に人手が足りてなかったので玉突きだったのかもしれないが)

自分の不甲斐なさに嫌気がさしていたので納得はしていた。笑顔で別れを告げたが、後悔ばかりしていた。

製造部門で下積み〜成果をあげるまで

製造部門は人手不足でどこも忙しい。自分は製造ラインではなく、梱包ラインや物の運搬を行う物流ラインを担当した。派遣社員を一律切ったので、色んな部署から製造に飛ばされてきた人が沢山いた。初めての一人暮らし、慣れない土地、デスクワークからほぼブルーワーカーへの変更。全てが新鮮だった。

仕事の方は相変わらずミスが多いものの、一旦覚えてしまえばなんとかなった。1年はひたすらライン作業のみに従事した。このまま苦手な単純作業を一生繰り返すのか… 何度も辞めようと思ったが、自分に自信がないので転職するという決断ができなかった。

今振り返ると、物覚えが悪いのと、仕事で迷惑かけたくないというプレッシャーが負のスパイラルを生み出して、全然パフォーマンスが出せてない状態だったのだと思う。

今までは会社や職場の仲間が好きだから、少しでも恩返しするよう頑張りたい気持ちが強く、せめて真面目にという気持ちでと、気を緩めなかった。結果、緊張しすぎで思考から作業まで固くなった気がする。人目を気にしすぎていた。

以前の部署ではみんなから好かれていたらしいが、逆に八方美人傾向となった。とにかく人に好かれる発言や行動を心掛け、嫌がられる、嫌われる事は極力避けた。

製造部で、あうあうして凡ミスが続いた時、年下の派遣社員に「よく首にならないね。」と皮肉を言われた事が今でも忘れられない。単純作業では物覚えやケアレスミスに苦労するが、得意な事も徐々に増えてきた。

自分で作業の問題をみつけ、解決策を考え、実行に移す事だ。営業時代から自分主体の仕事は大好きで、新規顧客訪問は楽しくて仕方なかった。

QC活動のプレゼン資料作りや、実際の発表説明も自信がついた。だれにも邪魔されず、自分が構成した内容を伝えればいいのだから、他のどの仕事より簡単に思えた。

成果発表はかなり自由な雰囲気で行われる。だから、ウケ狙いに走った。その方が興味もって聞いてくれるからだ。定時後に真面目な固い話など、眠くなるだけだ。眠くなるより、笑ってくれているほうが、話を分かってくれるに決まってる。

工場内での自分のキャラは、色々あって暗い人になっている。発表時にキャラを変えて受け狙いするのは中々勇気がいるが、面白いと思った工夫をどんどん取り入れた。表現のひとつひとつに気を配り、聞き手が退屈しないよう、ちゃんと言いたい事が伝わるよう、徹底的に考えた。

そのかいあって、色んな人からプレゼン上手いねと褒められた。仕事でまともに褒められた事が少なかった中、少しは見返せたという満足感が残った。

仕事がだんだん好循環となっていき、評価される事が増えてきた。緊張も解れ、開き直りもあって、人目を気にしなくなった。すると、さらに仕事がはかどり、上手くいくようになる。凡ミスもかなり減り、確認癖をしっかりつける事で未然に防げるようになった。

ここ数年での改善活動においては、数字的にもしっかり成果を出したと客観的に自負している。一番効果が出たのは切断機の改善。

ダンボールや発泡板(製品の梱包用)をカッターで切断する機械があり、設備は2012年から導入された。立ち上げ当初から自分が作業者として従事し、作業マニュアルやら、物の配置、部品の購入、異常対応など、切断機に関わる様々な仕事をしてきた。

2013年には、第一弾の改善を行った。部品切断後の余白が大きく、もう少し取り数を増やせないか着目した。従来なら余る部分を削って、その分取り数を増やしたCAD図面を作って頂き、それをプログラムに登録。あらかじめ設定した図面通りの構成ならば、余白を減らせるようになった。

その成果は評価され、事業所内で表彰してもらった。QC活動的な記録にて相応の等級もついた。ただ、まだまだ改善の余地はあった。登録した図面だけでなく、余白があれば常に取り数を最大限増やせるようなプログラムにできないだろうか?そうすれば、ほぼ全型番に対応できる。プログラムの導入費用だって、1年以内にペイできる。

自分でも図面を描けるようになろう。フリーソフトのドラフトサイトを勉強し、自分のPCにインストール。切断機のプログラムに登録するまでの流れを身につけた。これで準備は万端だ。自力でもやろうと思えばできる!

約2年後、切望していたプログラム変更が施された。浮足たって効果を算出。発泡板の切断実績は、導入時から毎日欠かさずつけていた。効果全てを計算できるのも自分だけだった。

プログラム変更により取り数を増やせ、その出来高と原価低減をそれぞれ20%以上増減できた。

プログラム変更に関する業者とのやりとりは、製造設備の技術担当者に対応して頂いたものの、作業者として、また改善の企画を主導するものとして、変更案件に大きく携わってきた。

月あたり約100,000円以上の原価低減。日当たり約20~30分の時間短縮。思わずガッツポーズが出てテンションが上がった。これだ!この達成感を味わいたい為に、一生懸命働いているのだ!

そうして、自分の中で揺るがない自信がついた事を感じる。だが、それは良くも悪くも承認欲求に繋がっていく。

成果は上げたもののこれまでの行いが覆る訳もなく…

成果を出せば、当然見返りを求めてしまう。私が狙ってたのは、全社的な表彰。同期入社の半分以上はすでに受賞している。人と比べたくないが、周りの人と接すると、否応なしに負い目を感じてしまう。

元々、営業、システム部門にいた身。先輩や同期が昇格していく中、自分は何も変化のないまま。能力さえついたら、実績さえあげれば… 舐められたくない。見返してやりたい。這い上がりたい。せめて人並みになろう。ここから巻き返そう。常にそう考えていた。

2013年は改善活動の甲斐あって、チームとしてQCの社内全国大会に選出された。

発表資料としてまとめた中の改善事例。その殆どに携わっている。全国大会まで行き、実践した改善も自分が主体で動き、頑張って達成した。だが、今度こそ自分が表彰を受けれるだろうという期待は見事に裏切られた。

同じチームの後輩が受賞した。受賞理由に、定常作業で安定した成果をあげていたという事があり、そこは納得していた。だが、QC活動で活躍して… というくだりは納得がいかなかった。

そもそも手がけてきた改善も、自分が言いだして、行動して、達成させなければ誰もやらなかった事だ。言われてやった仕事ではなく、自分で考え、自分で作って達成した仕事だ。なぜ自分は選ばれない??選出されるだけの事はやってきたつもりだった。

製造部門では、製品の製造ラインが花形で、自分のいる梱包や物流ラインは日の目を浴びない地味な仕事だ。だからこそ、どこかの製造ラインに異動する気配のない自分は、干されていると知っていた。同じラインでの仕事が4年経過した。だんだん、改善できるネタも少なくなってきた。

その分、コツコツライン作業を続けさせられた事もあって、自分のグループのライン作業はなんとか分かるようになってきた。時には、リーダー的な取りまとめも任せられる事もあった。自分ができない事は、得意な人に任せればいい。分からない事は教えてもらって回せればいい。

この人にはこういうお願いをして、この人はこういう性格だから… といった、その人その人の特性に合わせ臨機応変に対応すると、面白いように自分の能力を超えて仕事が回せた。

自分でも意外だったが、仕切っているのが好きだ。もちろん、リーダー風を吹かせるでもなく、自分がリーダー的立ち位置になる際は、できるだけ腰を低くし、なるべくみなさんが気持ちよく働けるよう、常に気を配っている。特に役割分担の重要さを学んだ。

自分が仕事で貢献できていると実感を持てている時、チームワークとやりがいが生まれるもの。改善活動の際も、なるべく全員を巻き込んで参加してもらえるようにした。

新しい人が入ったら、とにかく場になじめるよう努めた。嫌な気分や、孤立している感じは、顔の表情や仕草ですぐに察知できた。合わなくて辞めてしまう人、なんとか続く人は雰囲気で感じ取れる。辞めてしまう人にも、最後まで少しでも居心地よく仕事してもらえるよう、配慮したつもりだ。

上司や上の人は細かい事は言わないので楽っちゃ楽だ。が、時折パッと仕事を投げられる事も多い。仕事の説明が端折り気味だったりすると、私は指示が理解できずフリーズする事が多い。機嫌が悪い時に詳しい説明を求めると、怒られる事もあって揉めたりした。

また、その人しか分からない、社内で使われている各種管理システムなどもあったが、残念ながら詳細までは教えてもらえなかった。

いや、正確には自分に教えて勝手に動かれて万が一の事があれば、責任を問われるという理由もありそうだった。

それ相応の成果はあげたはずだが、表彰されない理由の一つが社内政治の問題。自分を表彰した事で後々自分に何か問題があれば、推薦した人の責任になる。2年目の面談で自ら言った、ADHD云々のくだりから、会社の人間からマークされているのは明白だった。

数字で分かる成果や実力だけではなく、その人の社内での信用と、上司や上の人から気に入られているかどうかは重要なのだ。

翌年の全社的な表彰は、また別の後輩が受賞した。当たり障りない受賞内容だ。仕事が正確で言われたとおりミスなくやれれば、だれでもいいのか。もちろん、それがどれだけ大切で、重要なのかは分かる。自分には欠けている部分だ。

だが、受賞した後輩二人とも、自主的に行動して達成しました、という事ではない。

言われた事をその通りにやった。いわば会社の指示だ。所詮会社がコントロールしている範疇でしか活躍が認められないのか… ここが限界なのか…

営業の同期からは派閥があるとはっきり暴露され、総務の同期からは上司から気に入られるかどうかが出世に響くと聞かされた。出世にははっきりいって興味ないし、しがらみが増えるくらいならいらないと本気で思う。ただ、頑張った分報われたかった。給料を上げる余地がないのは虚しい。

自分もライン作業といえど、リーダー側の経験もしてよく分かった事がある。一緒に仕事しやすい人は、自分にとって都合のいい人だ。噛み付いてくる人や、波長や主義趣向の合わない人だと人間避けてしまうもの。

それじゃ自分の能力を磨き成果をあげるよりも、飲みニケーションに精を出し、ゴマスリに励む人の方が報われるのか…

さらに自分ができる事を愚直に続けた。残業続きの最中、寝る間を惜しんで勉強し、受けた電気工事士の資格は、なんとか一発合格。

2015年には過去最高の改善成果を出した。もう今の環境でやれる事はあらかたやってきたつもりだ。それでも今後役職による昇給は一切望めない。社内の立ち位置は向上しない。異動も散々訴えたが無理っぽい。一度干されたら這い上がれないのか…職場で笑顔をみせる日も、挨拶する日も減ってきた。

それじゃ、仕事は前向きに妥協して趣味のスポーツに人生を捧げよう。と思っても、雰囲気的に毎回定時ダッシュは…。もちろん忙しい時はまず無理。人生を趣味に打ち込むとか考えてる人は職場内で浮く。職場内で浮けば、今の立ち位置だってどうなるか怪しい。

かといって、今の状況で結婚とか、とても考えられない。昇給も見込めず、会社で干されているような人間だ。結婚してしまったら、何かに挑戦するのは難しいと感じていた。自己中心的な向上心、挑戦に人を巻き込みたくはない。迷惑かけたくない。

今の会社に未来がないならどうする?? スポーツで勝負して活路を見出すか? 格闘技ジムにてトッププロを目の前でみてきたが、非常に厳しい世界だと分かってる。上手くいく保障など全くない。それどころか、体にガタがくる手前まで追い込んで、やっと勝負できる世界だ。

どのアスリートも五体満足ではない。自分がそこまでできるか? とても自信がなかった。食っていけるイメージがつかなかった。

八方塞がりの状況を打破するには、やはり転職か。まずは行動してみよう。気になる会社を有給使って面接してきたが、ダメだった。この時は、まだ今の会社に居心地の良さを感じていた。転職して給料の下がるリスク、転職先の不透明さ、上手くやっていけるかどうかの不安。そもそも働きながら何かすればいいじゃないか?転職による状況の打破とリスクを天秤にかけた時、リスクをとれなかった。

プログラミングと出会う

そんなある時、とある人から需要や将来性を理由にプログラマーを勧められた。コツコツ努力を続ければだれでもできる。自分の能力次第で給料だって増やせる。

ほんとかよ… プログラマーの悪い噂は嫌というほど聞いていた。そもそも、社内システム部を左遷されたほど適正ない自分だぞ。。そういうと、本気で打ち込んだのか? 寝る間を惜しんでやってみろと言う。

働きながらでも、勉強して試す事はできる。年齢的なタイムアップもひしひし感じていた。友達と遊びたい。彼女作っていちゃいちゃしたい。スポーツしたい。という気持ちよりも、現状を何とかしたい気持ちが勝っていた。

ネットで調べ、最初は初心者向けサイトから着手。ダメだ、訳が分からない… しかし、ここで逃げる訳にはいかない。

お金を払って有料講習を受けた。内容は相変わらず難しいが、お金を払ったからにはやるしかない。締め切り効果と投資効果により、意識とやる気が高まった。何度も繰り返し繰り返し同じ事を復習し、頭を抱えては調べたり人に聞いたりを続けた。

プログラミングのよい所は、間違いをすぐ教えてくれる事だ。凡ミスはすぐはじかれる。上手くできれば、アウトプットが返ってくる。楽しくなってきた。それでも、詰まったりした時は投げ出したくなる。面倒くさい気持ちが強くなる。でもここで投げ出す訳にはいかない。

とある人はスマホアプリ業界で働いており、Unityというツールを勧められた。これはすごい!自分にもゲームが作れるかもしれない!Unityの勉強をしに、週末は家を飛び出してあちこち出向いていた。そうこうしているうちに戦友と呼べる仲間が増えてきた。遊び仲間ではなく、同じ目標や志をもって努力している人たち。

馴れ合いはほとんどない。遊んでいる訳ではないのに、一緒にいると刺激をもらえる。とても楽しい。「仲間」と昇っていこうという気持ちが芽生えてきた。

また、プログラマー気質の人たちと相性がとても良かった。彼らは干渉しない人が多い。群れたりせず、黙々とコード書いたり勉強、製作をしている。人を縛ったり、縛られたりするのがとにかく嫌いな自分にとって、とてもよい関係だ。

そんな変化があれば、会社内の人間関係がより一層億劫になってきた。時間があればやりたい事、やるべき事だらけ。会社のイベントやたわいのない人付き合いに時間をとられたくなかった。

そもそも、安定した会社を飛び出して人生かけて勝負しようか悩んでいる輩と、みんなで群れてそれなりに楽しく頑張って仕事し、結婚して家庭を作って幸せに生きようとしている人とでは、価値観合う訳がない。価値観の合わない集団に合わせるのは、とても苦痛だ。

という事で、今の会社環境で詰んでしまった為、転職を真剣に考えています。はっきりいって相当ホワイトな会社に勤めてます。はたからみたらただのバカです。変人です。キチガイです。

まずは5年後、生き残ってやるぞ〜

(追記)その後

2016年9月現在。結局、今の会社に残ったまま余暇時間に活動しています。転職活動や追い込んでプログラミングをした経験より、ジョブチェンジしてゼロからスタートしても、上手くいかない可能性が非常に高いと判断した為です。(とはいえ転職して挑戦したい気持ちも強く残ってます)

世の中、一念発起の逆転劇が美談に語られますが、現実は非常に厳しい… 恐らく、死ぬ気でやっても今の給料以上稼いで仕事を回せるか、という点では困難を伴うでしょう。

今後も当面は、時間を捻出して会社外で稼げる力を身につけていく次第です。(気が変わりやすいので、どうなるか分からないですが…)拘束時間が短く勤怠に恵まれたメリットを生かします。

ゼロからの挑戦に憧れもあるのですが、このまま仕事をしながらでもやれる事は沢山ありますし、自分次第で化ける事も可能と思っています。多分辞めても辞めなくても、ああしとけば良かったと思うのは間違いないです。

「今」は地道にプログラミングやブログの創作活動などを続け、スポーツも再開して、何らかの積み重ねをアウトプットして、それを自力で稼ぐ為の原動力にしていきたいと思います。

ただ、いつどうなるかは僕にも誰にも分かりません。後悔のないよう、楽しく必死に生きていきます。